古着物販で脱サラ起業、年商1億円。しーなの自己紹介


僕は2016年の秋に古着物販をスタートし、
今年2024年で9年目になります。

はじめたころは失敗だらけでほとんど売れず、
何度も挫折しそうになり、
正直に告白すると毎日心が折れそうでした。

僕が古着物販をはじめたきっかけは、
勤めていた会社をクビ同然で辞めてからでした。
新卒で入社した会社は給料の支払いが能力給でした。

かんたんに言うと、
個人の仕事の能力に応じて給料が下がったり上がったりするシステムです。

初任給はみんな一律で手取りで30万円もらえたのですが、
僕は仕事ができず、使えないヤツだったためにどんどん給料を下げられ、
5年後の退職直前には新入社員の時の半分、
なんと15万円まで給料を減らされていました。

仕事のできる同期がすごい勢いで出世していくのを横目で見ながら、
僕は新入社員と同じ業務、
例えばエクセルに指定された文字を入力するようなかんたんな雑用ばかり任され、
なおかつそれすらミスりまくっていました。

当然会社では針のむしろ。
では僕はなぜ、そんなにミスをしてしまっていたのか?

僕はウマの合わない隣のデスクの上司に
パワハラをされ続けていたのです。

「ああ、まだいたんだ笑 しぶといね」
「いつ辞めるの?」
「お前みたいな奴はどこの企業でも欲しがらないよ?」
「お前が高校のクラスにいたら絶対友達にならねえわ笑
いじめたくなるツラしてるもん」

「お前はほんとに礼儀を知らないね」
「親の顔が見てみたいわ」

こんな罵詈雑言を日常的に言われつづけた結果、
上司からのパワハラに怯える
→頭がうまく働かない
→焦ってミスをする
→さらに上司から詰められる
→もっと怯えるようになる…
の無限ループでした。

パワハラをされるようになったきっかけは覚えていません。
たぶん、あいさつが小さかったとか、
どこかのタイミングで態度が気に入らなかったとかそんなことでしょう。

ずっとラグビーをやっていた体育会系の上司と、
体育会系とは無縁でコミュニケーション能力が低かった僕は
最初からうまくいくわけがなかったんだと思います。

今でもトラウマになっていますが、
当時は会社のことや上司のことを考えると冷や汗が止まらなくなっていました。
手が震えたり、話しかけられるだけで頭が真っ白になって言葉が出なくなったり。
そしてさらにミスが増えて暴言を吐かれる悪循環。

まともに意識を集中することができなくなりました。

寝つきのいいのが数少ない取り柄だった僕が、
夜よく眠ることができなくなりました。
常に胸のあたりに息苦しさを抱えて生きるようになってしまいました。

…もともと僕は仕事がバリバリできるような、
デキるサラリーマンになれるとは思っていませんでした。
なぜなら学生時代のアルバイトでも、
どこに行っても使えないやつ扱いをされていたからです。

たとえば大学2年生の夏、
大規模な音楽フェスで
ビールやジュースを売る企業の販売スタッフをやったとき。

好きな音楽が聴けてなおかつお金ももらえるなんて最高じゃん!
と浅はかにも思っていたのですが、
販売するのは主に女性スタッフで、
男性スタッフはひたすら15キロの重い業務用ドリンク樽を
馬鹿でかいトラックから販売ブースまで
バケツリレーで搬入するというキツい仕事でした。

正直、聞いてた話と違う!と心の中で叫びました。

僕は幼い頃から体が小さく貧弱なもやしっこで、
肉体労働系の仕事は絶対に周囲に迷惑をかけるとわかっていたので、
それまで避けて生きてきたのですが、
ここにきて初体験となってしまいました。

そして、やはり僕には勤まらず、
途中で疲労のあまり炎天下の中体調を崩してしまい、
女性スタッフがやる仕事にまわされました。

男はみんな力仕事をしているのに、
僕だけ女性に混じって楽な作業をしている。
みんなからの突き刺さるような視線を感じ、
僕は顔をあげられませんでした。

ようやく音楽フェスが終わり、
社員の人が運転する帰りのマイクロバスの中。
僕はうたた寝をしていました。
すると運転席と助手席に座った社員さんが
低い声で話している会話が聞こえてきました。

多分僕が完全に眠っていると思っていたのでしょう。

「あのしーなってやつ、マジで使えなかったな。何しに来たんだよあの給料泥棒。
誰が採用したんだ?死ねばいいのに」

「ほんとクソでしたよねw あいつのせいで僕らの負担も増えたんで最悪でした」

「ああいうやつって大学卒業したらどうすんだろうな?
どこ行っても通用しねえぞあんなの」

「まあすぐに嫌われちゃうでしょうねー、コミュ力もないし」

「マジで勘弁だわ。ほんと死んで欲しい」

内心、泣きたいくらい惨めでしたが、
直接反論をする勇気も根性もなく、
僕は寝たふりを続けることしかできませんでした。

他にもブックオフやカラオケ屋、警備員など
いろいろなバイトを経験しましたがどれも長続きせず、
どこに行っても評価されることはありませんでした。

学生のバイトという働き方ですらろくな働きができず、
本当に仕事ができない、無能な存在ということを
自覚させられることばかりでした。

だからサラリーマンとして働いていた5年間で、
周囲から仕事ができないやつという烙印を押され、
給料が初任給の半分まで削られても、
僕としては意外さはなかったのです。

むしろ、やっぱりダメだったか。
という諦めの気持ちがありました。
主観だけではなく客観的な事実として、
周囲からもポンコツだと扱われていたわけです。

「俺はダメなやつだ。仕事ができない、
 コミュニケーション能力がなくて会社でも浮いてる、金もない。
 みじめだ。
 この生活が40年50年続くのには耐えられない。
 楽になりたい。もう死にたい」

こんな気持ちを抱えたまま、
平日はもちろん、休日出勤の日もあったので土曜日曜も生きていました。
つまり毎日死にたかった。

「このまま自分をごまかし続けるのは無理だ。」
「行き着く果てはうつ病か自殺だろう。」

自分になんの力もないから、
死にたいほどの辛い気持ちを抱えてても会社にしがみつかないといけない。
だって会社を辞めたら食っていけません。
15万円という生きるためにギリギリのお金を稼ぐためには、
死ぬまで一生耐えるほかないと思っていたのです。

みじめでした。情けなかった。
それまで適当になーんにも考えず生きてきて、
なんとかなるっしょとか余裕こいて、
なんの努力もせずに生きてきた結果がこれです。
自己責任ということが自分でもわかりすぎて、
マジで頭がどうにかなりそうでした。

すべての問題はお金がないことに原因がありました。

金がないからこんなにも人生上手くいかない。
金さえあれば、会社に行かなくてすむ。
嫌いな上司とも顔を合わさずにすむ。
愛想笑いもしなくていいし、
ストレスによる吐き気ともおさらばできる。

好きな時間に起きて好きな時間に寝ることもできる。
家畜を運ぶトロッコのような満員電車にも乗らなくてすむ。

あ〜宝くじ当たらねえかな。
道端に金が落ちてねえかな。

こんなにも金がなくて苦しんでいたのに、
それまでの僕は、お金について深く考えたことすらありませんでした。
お金よりも大事なことがある。
とかどっかで聞いたような自分にとって都合のいい綺麗事を真に受けて、
そのくせお金より大事なものを見つけられずにいました。
というか探そうともしていない。

そして26歳のある日、
結局僕は、精神を病んで会社を衝動的に退職してしまいました。

その日もいつものようにパワハラ上司に別室に呼び出され
ねちっこい説教という名の退職勧告を受けていたのですが、
突然プッツリと自分を支えていた細い糸が切れたのです。

「もう辞めます」
「え?」
「すみません。退職させてください」
「ああそう笑 じゃあこの書類に名前書いて」

退職手続きはあっさり終わりました。
ペラペラのA4の一枚の書類に名前を書き、それで終わりでした。

「じゃあ上には俺から伝えとくから。明日からもう会社来なくていいからな」
「お疲れさん。デスクは綺麗にして鍵は上に置いといて」

これだけです。誰にも引き止められず、残念がられもせず。
5年間いたのに、本当に誰からも必要とされていなかったんだなと、
情けなさとみじめさと寂しさしかありませんでした。

その日のうちに逃げるように会社を退職した僕は、
次の日から失意のどん底の日々を過ごしました。

「これからどうやって生きていこう」
「またどっかの会社に転職したところで同じことを繰り返すだけだ」
「もう組織の中で働きたくない。嘘ばっかついて好きでもない相手に愛想笑いしたくない」
「でもどうすればいいんだ…金もないしアイデアもない…」

なんの準備もなく、あれほど苦しんだ会社にいきなり行かなくてもよくなり、
うれしいはずが、心にぽっかりと穴が空いたようでした。
仕事をやめた実感がもてなかったのです。

結果、ぬけがらのようになりました。

部屋に引きこもり、起きても何もしません。

できません。

生活の9割がベッドの上。
ずーっと寝ていたい。
現実が辛すぎるから。

けど寝るのにも限界があるので、
眠れなくなったらスマホの
YouTubeを開き、
死んだような顔でじーっと適当な動画を見る。
興味もないのに関連動画を見続ける。

それに疲れたら眠る。
起き上がるのはトイレくらい。

ほぼ寝たきりなので腰が痛くなります。

まじで何もできないぐらい腰が痛たたたってなります。
それから明るいのが苦痛で、カーテンは常時閉め切っています。

日光うぜー、太陽死ねよ。ってなります。

昼夜逆転しているので唯一の社会との接点は
歩いてすぐのコンビニに行くことくらい。

しかしコンビニに行っても、自分が何を食べたいのかわかりません。

何かを選ぶことができなくなりました。

棚の前で立ち尽くしてしまいます。
どれにしよう???
選べない…。
なんなんですかね?あの感じ。

目の前に一枚、薄い幕が張ってある感じで、
何をしても現実感がない。

自分が今、何をしたいのかがわからない。

しかしそんな状況でも、
生きているだけでお腹は空きます。

無職でお金がないので、
食べたくもないのに、
豆腐と食パンと納豆ともやしを買います。
冷蔵庫にはそれしかない暮らし。

大学時代よりも貧乏になってしまいました。
牛丼が食べられていただけでもマシだったと気づきました。

こんな生活、ダメなのはわかっていました。

でも実際動けないし、相談する友達もいないし、
心配かけたくないから親にも言えないし…。

その日も僕は、インターネットの世界を徘徊していました。
もういい加減貯金がなくなりそうで焦っていました。

やむにやまれず
「ネット 稼ぐ」「ネット 収入」みたいなキーワードで検索すると…

すると出てくるのは、アフィリエイトや転売の情報。
年収1000万や1億以上稼いでいる人もいました。

『45歳主婦が旅をしながら1億円を稼いだ方法教えます』

『ほったらかしでザクザク稼ぐ!ツイッターアフィリエイト』

『ワンクリックで誰でも5万円!猿でもできます』

「嘘だろこれ?詐欺かな?なんなの?怪しすぎる」

「でもサラリーマンで働くのはもう絶対無理だし…」

「怪しいけどやってみるしかないかぁ…」

超うさんくさいと思いながら、
でもこれしかないと半ば絶望しつつも、
1%の希望にすがる思いで、
それから何日もネットで稼ぐための情報を集めまくりました。

それでわかったことは、
ネットビジネスには「金銭的リスクがない」ということ。

僕は当時会社を辞めたばかりの無職で、貯金もほとんどなく、
おまけになんのスキルもやりたいこともない、引きこもりのアラサーでした。

もしネットビジネスをはじめるのに、
実業のようにお金が必要であれば、
チャレンジすることは不可能でした。

しかしアフィリエイトは無料ではじめられるし、
転売だって家の不要品を売ればタダでスタートできてお金も儲かります。
これはすばらしい。
これだったら俺にだってできるぞ。

そして考え方を180度変えてみました。
今までの自分だったら絶対に選ばない選択肢をあえて選んでみよう。

今までの自分の生き方では26年間まったく幸せになれなかったのだから、
今までの自分がやらないような選択をしてみよう。

と考えてみたのです。
今までの自分だったらネットビジネスはやらない。
だからこそ不幸な今がある。

考え方を変えて、ネットビジネスに挑戦してみよう。
どうせ失うモノないし。
リスクもないし。

まさにヤケクソです。

しかしこの選択は、
クソすぎたそれまでの自分が変わったはじめの一歩でした。

いつものように、何も知らないくせに、
うさんくせえw とネットビジネスをバカにして
インターネットを速攻で閉じていたら、
今の僕はなかったでしょう。
それだけは断言できます。

ネットビジネスをやってなかったら今頃はたぶん、
フリーターかよくてまたブラック企業の社員として
こき使われる生活に逆戻りじゃないですかね。

マジであの時、ヤケクソで変わろうとした自分グッジョブです。

そして僕は、まずアフィリエイトをはじめ、
見事に【1円も稼げずに挫折】してしまいました。笑

考え方を変えたからといって、
ことはそう簡単にうまくいきませんでした。

2016年当時流行っていたのはブログアフィリエイトと呼ばれる手法で、
アメブロなどの無料ブログでとにかく商品を紹介するブログを数百個も量産し、
そのうちのどれか一つでもブログが当たったら儲かる…というノウハウでした。

僕は来る日も来る日も無料ブログを作りつづけ、記事を書き続けましたが、
結局ひとつの商品も売れず。
というかほとんど誰からのアクセスすらありませんでした。

僕がアフィリエイトで稼げなかった原因は明白です。
SEOの知識もマーケティングの知識もブログの知識もコピーライティングの知識も、
アフィリエイトに必要な知識を何一つ知らなかったからです。
アフィリエイトで稼ぐためには必要な勉強や作業が多すぎて、
ネットビジネスど素人の僕は迷いまくってしまったのです。

結局アフィリエイトでは一円も稼げず、
ただただ時間を浪費するだけで終わりました。

さて、アフィリエイトで挫折した僕は、
さらに焦りまくっていました。
全然お金を使っていないつもりでしたが、
公共料金や家賃は無常にも毎月引き落とされていきます。

ゴリゴリ削られていく通帳の残高を見るのは恐怖でした。

「このままじゃあと3ヶ月もたないかもな…」
「もしネットビジネスでも稼げなかったらまた警備員でもやるか…」
「ああ…結局俺は何やってもダメなのか。」

毎日気持ちが折れしそうでしたが、
その時の僕はなんとか踏みとどまり、すぐには諦めませんでした。
サラリーマンにだけは絶対戻りたくなかったからです。
ギリギリまで追い詰められたのが幸いしたのか、
冷静に考えることができました。

「俺はアフィリエイトでは稼げなかったが、実際に稼げている人はいるみたいだ」
「じゃあアフィリエイトには向いてなかっただけで、他のビジネスならいけんじゃね?」
「とりあえず転売やってみるか」

僕はアフィリエイトで稼げない間、
生活費を少しでも稼ごうと
自分の私物をオークションで売りまくっていました。

せっぱつまっていたので、
売れるものはゲームもスーツもテレビも。
一生手放さないと決めていた、
ローンで買った大事な高価なギターも売ってしまいました。

少しでも金になりそうなものはなんでも
ヤフオクで売りまくっていました。

そしてそれはある程度のお金になり、ここでようやく僕は気づきます。

「アレ?これって転売なのかな?イケるんじゃねーの??」
「ひょっとして、ビジネスになるんじゃ???」

早速ネットで「転売」を検索です。

すぐに目に飛び込んできたのはAmazon転売。

Amazon転売は集客ノウハウを必要としない、
ツールが使えるから誰でも売れる商品が見つかる、
発送とかもAmazonが全部やってくれるから楽。
云々。

ネットの情報を集めていると、
Amazon転売は、
アフィで稼げなかった僕でも稼げそうでした。

アフィリエイトと違って、
モノが売れる流れがわかりやすいですしね。

よし、次は転売やろう!

と言うことですぐさまAmazon転売に挑戦しました。

結論から言えば、そこそこ稼げました。15万くらい。

しかし、途中でやめました。なぜか?

・ライバルが多すぎて稼げる商品がなかなか見つからない。
見つかってもライバルも見つけるためすぐに争奪戦になってしまい、
結果安売り競争に巻き込まれ値崩れを起こし、
損することがよくあった。

・売ってるものに1ミリも興味がもてない。
おもちゃやゲームなど、金になるものならなんでも取り扱うものの、
その物自体に愛着がないため、売れてお金がはいっても楽しくない。
ビジネスやってても充実感がない。面白くない。

・仕入れをするのに人の目が気になる。
仕入れをするためバーコードリーダーを店舗でいじっていると、
店員さんに注意されたり、
ほかのお客さんにじろじろ見られたりするのが嫌だった。
メンタルがやられる。

・親や友達に胸を張って自分の仕事が言えない。
自分のやってる行為が、
果たして誰かのためになっているかと思うと疑問だった。
たとえばクリスマス商戦でこどもの欲しがるおもちゃを仕入れまくって、
プレミア価格で販売することに対して社会からの風当たりが強かった。
当たり前だが自分のビジネスのせいで
誰かに迷惑がかかったり悲しませるのは本末転倒。

・Amazonは個人の転売ヤーに対して厳しい。
またFBAの手数料も当時は毎月5000円弱となかなか高かった。
ライバル多いしこれはこの先どんどん厳しくなるだろうな。

などの理由があってやめました。

まあ、一番の理由はやってて楽しくないんですよね。

やってることもハイエナっぽいというか、
コソコソしてるというか…。

お店で商品リサーチとかやってると、
正直めちゃくちゃ目立ちますし、

「あの人何してんの?」って感じの
キツイ視線がバンバンきます。

友達になんて説明すればいいんだろう。
僕はメンタル弱いのでそういうのも無理でした。

さあ、アフィリエイトもダメ。
Amazon転売もずっとは続けたくない。

お金のためには今はちょこちょこやらざるを得ないが…。

でも、転売自体では稼ぐ経験ができたので、
転売だったら俺でも稼げるなと、
割と自信がついたのは収穫でした。

転売はもっとちゃんと勉強すれば俺でもできるかも?

失敗を繰り返しながらも、
周囲への不平不満ばかりをまきちらし、
何も現状を変える努力をしてなかったサラリーマンの時より、
前向きに考えられるようになってきました。

ネットビジネスをはじめて以来、
無職になってから陥っていた昼夜逆転も治ったし、
何より満員電車に乗らなくていいし、
パワハラ上司がいなくなったのも最高でした。

さて、Amazon転売をやってみて
僕が考えていたのは、

その仕事に価値があるのか?

ということでした。

 

つまり、僕はこういう仕事がしたかったのです。

1.継続してお金が稼げて

2.作業が大変じゃなくて(できれば楽しくて)

3.一生使えるスキルが身に付いて

4.誰かにとって価値を与えることができる

個人的にはアフィリエイトでは
1と2がクリアできませんでした。

ネットビジネス初心者にはアフィリエイトは
厳しいかなと今も思ってます。

なんつっても最初のマネタイズまでが長すぎるのです。
膨大な知識が必要なので、
それゆえに初心者は稼げるまでに挫折しやすいです。
僕のクライアントにもアフィリエイトの挫折組は大勢いらっしゃいます。

Amazon転売では
2と3と4がクリアできませんでした。

誰にも価値を与えられていないんじゃないか?
この疑問は結局最後まで解けませんでした。

アフィリエイトもAmazon転売もやめた僕は、
ある日リサイクルショップに行ったときふと気がつきました。

たくさんの古着が売ってあることに。

僕はお金がなかったので、
おしゃれに興味があった大学生時代から
ほとんど服は古着でそろえていました。

高円寺や原宿、町田などの古着屋に行っては、
安い古着を買って楽しんでいました。

学生時代から好きだった古着と、
稼げるきっかけとなったAmazon転売。

これがバチコーンと繋がりました。

古着を転売すればいいのでは???

古着はすごい好きだから知識もすでにあるし、
やっててやりがいも楽しさもあるだろうし、
継続して稼げるだろうし、
プレ値をつけてぼったくるわけじゃないから価値も与えられるし、
古着屋さんだと親や友達にも胸を張って言えるし…!

古着物販は、上記の4つの項目をクリアできる、
まさに理想的なビジネスだったのです。

つまり、継続してお金が稼げたし、
(人に教えてわかったけど、誰でも簡単に10万円は稼げたし、仕組みを作ったら月に100万円以上稼げた)、
仕入れは宝探しみたいで超楽しいし、
「モノを売る」という本質的なマーケティングが学べるし、
僕から古着を買ったお客さんは超喜んでくれました。
誰も損してない。最高。

そこで古着物販を始める前に、
僕は自分と約束をしました。

「古着物販にすべてを賭ける。
これでもダメなら俺はネットビジネスをやめる」

アフィリエイトやAmazon転売で
満足のいく結果を出せなかったので、
これが最後という、背水の陣の覚悟で臨みました。

そんな覚悟で古着物販をはじめた結果、
1ヶ月目の利益はたった3500円。

うおー全然稼げねえじゃん。
貯金無くなる。死ぬ。
不良在庫が山のよう。

でもやるしかない…。

2か月目、3万稼げました。

まだまだ全然わかりません。
何が原因で稼げないんだろう?
売れそうな服売ってんのに!

3か月目、5万。

ここまで全部独学でした。
古着が好きだったので稼げると思ったけど、
趣味とビジネスは考え方が全く違うことにようやく気づきます。

このままじゃ稼げるまでに時間がかかりすぎると思い、
当時活動していたコンサルタントの
古着物販の仕入れ同行コンサルティングを受けました。

ファッションに多少なりとも知識があったので、
勉強しなくても売れると思っていたけど無理だったので、
自己流を捨て、素直に成功者に学ぶことにしました。

コンサルを受けて勉強した結果。
今までやっていたこと全てがバッキーンとつながりました。

マジでこんなのが売れるの??
えええーー!!俺が今までやってたことって何?
好きなだけじゃ売れないのか…。
ビジネスってこういうことなのか…。

コンサルを受けたその月、
Amazon転売と同じくらいの金額を古着物販で稼げました。

転売全部の利益合わせると20万円だ!!
サラリーマン時代の月収超えてる!!!

ここらで確信しました。

「古着物販は稼げるぞ」
ということに。

独学でやって、なかなか売れなかった時は、
正直何度も挫けそうになりました。

「ほんとにこれで合ってるのかな?」
「ネットの情報は俺を騙してるんじゃないだろうか?」
「やっぱり売れなかったらどうしよう…」

ネガティブな考えが頭の中を支配して、眠れない夜もありました。
それくらい僕は自分に自信がなかったし、疑り深かった。

だからコンサルを受けて自分の中で古着が売れる確信を持った時は
身体中に電流が走るような衝撃がありましたし、
自分の選択は間違っていなかった!!
俺は正しかった!!
という気持ちで激しく心が躍りました。

それから僕はどんどん仕入れを増やし、
1ヶ月で100万円の仕入れをしたこともあります。
物販は売れるようになりさえすれば「勝ち」なのです。
手堅く安定して収入が手に入るので、
あとはどんどん仕入れを増やせばよいだけです。

さらに発展させて【古着を自動的に売るシステム】を作り上げ、
時間的な自由、金銭的な自由、身体的な自由を手に入れました。

要するに仕入れと販売と発送を極限まで効率化し、
自分が働かなくても勝手に収益が上がる仕組みを構築しました。

仕組みを作り上げることで、
今までのせどりはなんだったのか?というほどの
結果が出るようになりました。

僕のオリジナルの手法を使った古着物販の平均的な利益率は【50%】です。
いいとこ10~20%といわれるせどり業界の中で、
この数字はわかる人にはショッキングな数字だと思います。

つまり、100万円の利益を得たければ、
100万円分古着を仕入れればよいのです。
それが200万円の売り上げになります。

またそれが極限まで効率化された仕組みの中で行われると、
ほとんど古着物販に割く時間は削ることができます。

仕入れのためにリサイクルショップを車で回っていたら、
どう頑張っても半日はつぶれてしまいます。
数を確保するために毎週末に仕入れに行くとすれば、
仕入れだけで6時間✖︎4=24時間です。

もちろん物販は仕入れだけでなくメルカリに出品したり、
売れたら梱包して発送して…と細かい作業があるのでもっと時間はかかります。

それを僕が編み出したオリジナルの手法を使えば、
隙間時間にスマホをいじって売れ行きをチェックするだけになるため、
作業に必要な時間は1日15分とかになってしまいます。

恐ろしいノウハウなのです。

僕は2018年に40日間タイのバンコクでバカンスを楽しんだのですが、
その間もずっと古着は売れ続けていました。

海外旅行をしていようが、遊んでいようが、
ほかの仕事をしていようが、勉強をしていようが、
自動でずっと古着が売れ続けていくのです。

さらにそれで売れ行きは減るどころか上がります。

僕のクライアントには地方でサラリーマンとして働きながら、
わずかな作業で月収120万円稼いでいる男性がいらっしゃいます。
もちろん本業より収入は多く、
副業の古着物販で本業の5倍以上の収入を得ていました。

そうやって毎月収入が伸びていき、
起業2年でひとつの目標にしていた年収1000万円に到達しました。
6年目の今まで累計で1億円以上稼ぎました。

サラリーマン時代は年収200万円にも届かず、
いっつも我慢ばっかり強いられていたことを思うと非常に感慨深いです。
自分みたいな無能な人間でもここまで成長できたのかと。

僕はめちゃくちゃ貧乏だった無職の時に妻と結婚したのですが、
引っ越し資金すらなく必要な30万円を全額妻に出してもらうほどでした。

ようやくお金に余裕ができて都内の家賃20万円の家に引っ越した時は、
「こんな家に住めるなんてあの頃は想像もできなかったよね」と喜んでもらえました。
起業したてで失敗ばっかりしていた僕を一番近くで見ていた妻は、
内心とても心配していたと思うのですが、
やっとその苦労が報われて僕も嬉しかったです。

電化製品はすべて中古でリサイクルショップで安いやつしか買えなかったのが、
乾燥機付きの15万円くらいの洗濯機を買って洗濯物を干す必要もなくなり
妻の家事の負担を減らすことができました。
ずっと欲しがっていたピアノも買ってあげることができたし、
好きな服をいつでも買ってあげることができるようになりました。

お金がすべてだとは思いませんが、
底辺のような生活を味わい、
やっぱりきれいごと抜きにお金はとても大事だと痛感しています。

お金がないと気持ちが荒み、いつも不安になり、
心に余裕がもてないのです。
お金がない辛さを僕は知っています。

そして今の日本には、
かつての僕と同じようなみじめな気持ちを抱いている人がたくさんいます。

だからこそ、僕はそんな人たちを救いたい。
ちょっとしたきっかけひとつで人生は良い方向に変わることもあるのです。
その想いで僕はコンサルや古着物販を教える塾をはじめました。

そして古着物販を教えるようになって、僕はある事実に気がつきます。
それは
【古着が好きで古着物販をやっている人があまりいない】
ということです。

僕は古着が好きだから、
古着物販がすごくやりがいがあったし、楽しかった。
しかし、古着が好きじゃない人にとっては、
古着物販は単なるお金を効率的に稼ぐ手段で、
やりがいは特にもてないのです。
やってて楽しくないのです。

これはつまらんな。
と僕は思いました。

どうせ一度きりの人生なら、
やってて本人が楽しい仕事で稼いで欲しい。
そうすれば人生の満足度は上がるはずだから。僕みたいに。

ということで、古着の売り方だけではなく、
古着を含む【あらゆるモノ】に通用する売り方を学んでいただく塾にしました。

あらゆるモノに通用する売り方。
つまりマーケティングを学んでいただき、
自分の好きなモノを売れるようになれば、
その人の人生楽しくなるじゃん。
ということです。

そのために2018年には本格的なマーケティングを学ぶために
半年間450万のコンサルを受けましたし、
いま現在も200万円以上のお金をかけてさらにマーケティングを学んでいます。

マーケティングは奥が深いのですが、
僕が学べば学ぶほどクライアントの売り上げも上がっていくので
こちらも学び甲斐があります。

こうして僕はコンサルやマニュアルの販売をしてきました。
購入者様からのフィードバックを取り入れながら
常にノウハウのアップデートを繰り返しているため、
おかげさまでマニュアルを購入した方からは
「本当に安い値段でしーなさんから毎日コンサルを受けているようです」
「他のビジネスにも古着物販の方法論は応用できる」
など嬉しい感想をいただけるようになりました。

また2020年には出版社からお声がかかり、
2冊の本を出すという経験もさせていただき、
無職のころからは想像もつかないような出来事に、
ただただ驚くばかりでした。

 

今では、
・古着物販の羅針盤
・仕入れ集中サポートサービス
・古着物販仕組み化講座
・習慣化マスター講座
・マインド再インストール講座
・ノースフェイス高単価販売講座(塾生とのコラボ企画)

など様々なノウハウを作っては改善して、
さらにフィードバックをいただいて改善して…
の繰り返しです。

古着物販で稼げて脱サラを達成した塾生には、
ひとりひとりのやりたいことに合わせたマンツーマンビジネスコンサルなど、
さらに上のステージの学びを提供しています。

古着物販は完全に仕組み化しているため、
上位のクライアントはほとんどなんの作業もしていないはずです。

古着物販を極め、不動産投資など別のビジネスに進出している方もいて、
本当にみなさん想像もしていなかったようないろいろな道がひらけています。

僕自身もお金や時間に余裕ができたため、
2021年はコロナ対策をばっちり行った上で
海外・国内旅行を経営者の友人たちと楽しんでいます。

富裕層が訪れるメキシコのビーチリゾートに2週間滞在したり、
沖縄に10日間の一人旅、
高級ホテルに宿泊して静岡での2泊3日セミナー、
今度は3週間ほどヨーロッパを巡る予定です。
遊びながらもっとお金も稼げるように投資の勉強もしています。

今はお金に困らなくなりましたが、
サラリーマンのころのあの惨めな気持ちは忘れていません。
だから僕はあんな辛い思いを二度と経験せずにすむように、
今もビジネスを学びつづけているし、努力を怠りません。

これからも稼ぎ続けます。
もちろんクライアントのみんなにもお金を稼いでもらって、
一緒に旅行に行きたいという夢ももっています。

あなたは今雇われて働いている立場ですか?
僕は能力がなかったために、
ゴリゴリと給料を削られ、
上司からのパワハラで人格すら否定される日々が5年続きました。

しかしお金がなかったために、
そこから逃れることができず非常に苦しみました。
あなたがもしそんな生活を送っているとしたら、
今すぐ古着物販を学んでください。

古着に詳しくなくてもできます。
僕のクライアントはほとんどが物販未経験です。
それでも勇気を出して一歩を踏み出す人を僕は全力でサポートします。

長い文章をここまで読んでくださってありがとうございました。

こんな僕のプロフィールを読んでくださっている
あなたは、どんな方ですか?

どんな場所に住んで、
どんな仕事をして、
どんな趣味があって、
どんな夢があるんでしょう?

よく想像します。

恥ずかしながら、僕は何もない人間でした。
学歴も、夢も、お金も自信もありませんでした。
行動力もないしパソコンに関してもド素人でした。

その日をどう耐え忍ぶかしか考えてませんでした。

プライドばっかり高くて、
そのくせ自信も何もなくて
何をするにも人一倍ビビってました。

言い訳スキルだけは超一流でした。苦笑

そんな僕でも、ちょっとしたきっかけで変われました。

クソアホ窓際会社員だったしーなは
古着物販との出会いをきっかけに、
お金を自分で稼げるようになり、
人生が激変しました。

 

自分を変えるために一歩踏み出し、
目標を立て一歩ずつ前進しました。

そしたら気がつかないうちに、
会社員時代は想像もできなかった未来に来ていました。

 

あなたのやりたいことはなんですか?

会社に所属しないこと?

お金で苦労しないこと?

好きな場所に住むこと?

好きなだけ眠ること?

ちなみに会社員だった時の僕の夢は、
ダラダラなにもせずに誰とも会わずに暮らすことでした。

古着転売がきっかけになって
自分で稼ぐ能力を身に着けた結果
お金の心配がなくなって、
また好きな音楽を心から楽しめる生活が戻ってきました。

高校生のころ聴いていた音楽は、
嘘をついていなかったんだと今では確信しています。

彼らは、「僕らに自由に生きる権利がある」
とヒントを歌ってくれていたのです。

 

彼らも頑張って、努力して、その結果成功を掴んだのです。

 

そして、行動すれば君も成功できるよ。
自分の思い通りに生きることができるよ。
とメッセージを送ってくれていたのです。

 

サラリーマン時代の僕はそれをただの

「夢物語として」
「自分の現実とは関係のないものとして」
「つまらない毎日のなぐさめとして」

受け止めてしまっていました。

そんなことないのにね。
年収3億の人間だって、元々はただの人。
同じ人間、能力に大して差はないです。
考え方ひとつです。本当に。

僕は、音楽であなたにメッセージを伝えることができないので、
ビジネスで伝えようと思い、
キーボードを叩いています。

少しの勇気と行動で、
あなたの人生は大きく変わります。

ここまで読んできたあなたは、

会社で消耗している多くの人々よりも
一歩先へ踏み出すことに成功しました。

 

大事なのは学ぶこと。
そして行動することです。

怖いことは何もしないことです。

我慢する生活を安定させてしまうことです。
チャンスをみすみす逃してしまうことです。

行動して、チャンスをつかみとってください。

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しーな

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この記事を書いた人

経営コンサルタント/会社経営/書籍出版/古着転売/古着転売塾クラスタ代表/古物商

大学卒業後、新卒で入社した会社を上司のパワハラにより退職。アフィリエイトやAmazon転売などのネットビジネスに失敗したのち、古着転売ビジネスで起業する。「古着の仕入れ、ネットでの販売、梱包・発送」の大部分を自動化し、金銭的・身体的・時間的自由を手に入れる。過去には会社員を中心に、学生、主婦、フリーランサー、経営者など、新規事業立ち上げやマーケティングを視野に入れたビジネスマンへのセミナーを開催。また全国で100名を超える受講生が参加する、マーケティングを軸に古着転売を総合的に教えるビジネス塾を運営している。

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